まさかの特許バトル:たったこれだけの投与変更が数十億ドルに
- York Faulkner
- 4 日前
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更新日:4 日前
「でも、これは単なる投与スケジュールの話じゃない。実は、裁判所が特許無効を主張する側に「自明性ショートカットボタン」を与えることができるかどうかという話である。」

初めに
想像してみてほしい。あなたはジェネリック医薬品メーカーで、目の前に数十億ドルのチャンスが転がっている。対象は「パリペリドンパルミチン酸エステル」という精神疾患治療薬。患者は毎月何百ドルも払ってこの薬を使っている。でも実はこの薬そのものは新しくもなければ、特許もかかっていない。特許で守られているのは、注射による段階的な投与法だけである。それが米国特許第9,439,906号、通称「’906特許」である。
あなたの戦略は、FDAに「略式新薬申請(ANDA)」を出して、この薬のジェネリック版を販売する許可をもらう。ハッチ・ワックスマン法に基づいて、これをやると避けられずに特許訴訟になる。でもそれは想定内、むしろ狙い通りである。
すでに先行技術をしっかり調べていて、’906特許に書かれた投与スケジュールーー初日150mg、1週間後に100mg、その後は毎月メンテナンス投与ーーなんて、あまりにも当たり前すぎて特許になるべきじゃなかったと思っている。実際、先行技術には150mgと100mgの投与量の両方が載っていた。それを「減らす順番で」組み合わせただけなら、どの医師でもやりそうな最適化である。
だからヤンセンに特許侵害で訴えられても、「この投与法は真似していない」なんて争わない。むしろそれがANDAのポイントだったわけで、本丸は「この特許そのものを無効にする」ことである。そうすればジェネリック薬を堂々と発売できる。
これが『Janssen Pharmaceuticals, Inc. v. Teva Pharmaceuticals USA, Inc.』、2025年7月8日に連邦巡回控訴裁判所(CAFC)が出した判決(事件番号 2025-1228)なのである。見た目は単純そうな話が、実は全然単純じゃないとわかる一件である。
でも繰り返すけど、これは単なる投与法の話じゃない。裁判所がある種の状況下で「自明性ショートカットボタン」を押して、特許保持者側に「自明じゃない」ことの証明責任をひっくり返して課せるかどうかの話なのである。本来なら、特許が自明であったことを証明するのは無効を主張する側の仕事である。けれど今回、テバは「いやいや、この特許は最初から「自明だと推定されるレベルだ」と主張してきた。
薬じゃない薬(でも体内で薬になる)
なぜこの事件が重要であろうか。それを理解するには、「薬の投与って実は思ったよりずっと複雑」ということを知っておく必要がある。ヤンセンが患者に注射していたのは、実は「本物の薬」じゃない。「プロドラッグ」と呼ばれるもので、時間差で薬に変化する仕組みである。パリペリドンパルミチン酸エステルは、筋肉に注射されると体内で少しずつ「パリペリドン」という有効成分に変わっていく。
コーヒーに入れた角砂糖がゆっくり溶ける、みたいなイメージである。でもこの角砂糖は「1か月かけてちょうどいい量ずつ溶けるように」設計されている。
これって単なる便利機能じゃない。実際に患者の役に立つ工夫なのである。統合失調症の患者は薬を毎日きちんと飲むのが難しく、飲み忘れがあると症状が悪化したり、再入院になるケースもある。’906特許にも「非遵守は症状の悪化、治療効果の低下、頻繁な再発や再入院、リハビリや社会的療法の妨げになる」と書かれている。
月1回の注射投与にすることで、この問題が解決された。でも、ここからが科学的に面白いところである。プロドラッグって体内で変化するから、毎月同じ量を打てばOKという単純な話ではなかった。
患者を救った投与パズル、でも訴訟の火種に
ヤンセンのブレイクスルーは、「最初にどう打つか」にあった。彼らは等間隔・同量の投与ではなく、「減量式」の初期投与を選んだ。初日には150mg相当を肩に注射し、1週間後に100mg相当をもう一度肩に。その後は、月1回のメンテナンス投与(25~150mg相当)を肩またはお尻に注射する。
イメージとしては、こんな感じだ。1回目の注射で体内に「薬を生み出す小さな工場」ができる。これがゆっくり薬を出し始める。そして1週間後、少し小さめの2つ目の工場を追加する。2つの工場が同時に動き出すわけであるが、その合計出力がちょうどよくなるようにしないといけない。メンテナンス投与はその状態を維持することが、あなたの銀行口座をちょうどよく保つ「定期的な入金」みたいなものである。
この発想を反映して、ヤンセンはこの薬に「インヴェガ・サステナ(Invega Sustenna)」という商品名をつけた。治療継続率が劇的に改善され、売上は数十億ドル規模になった。
特許挑戦者の登場
時は戻って2017年12月。テバがFDAに「インヴェガ・サステナ」のジェネリック版を製造・販売するためのANDAを提出した(判決8頁参照)。ハッチ・ワックスマン法のルールにより、ANDAが提出されることは特許侵害行為であり、ヤンセンが訴訟を起こした。
テバは、自社のジェネリック薬がヤンセンの特許を侵害することを素直に認めた。つまり、テバも同じ投与スケジュールを使うつもりだったが、「そもそもこの特許自体が自明すぎて、最初から無効なんだ」と主張した。
ここから法的な戦略が面白くなる。テバは「自社が別の投与法を発明した」と主張したわけではない。むしろ、「ヤンセンの発明自体があまりに当たり前だったから、最初から特許を与えるべきじゃなかった」という攻め方だった。もしそれを証明できれば、この特許は無効になり、テバは自社のジェネリック薬を自由に発売できるようになる。
テバの「自明性」理論は、ぱっと見かなり説得力があるように見えた。根拠は、どれもヤンセン自身の研究に基づく3つの先行技術だった。
1つ目は、「NCT00210548プロトコル」(通称「’548プロトコル」)。これは、ヤンセンが行った第III相臨床試験の計画書で、「パリペリドンパルミチン酸エステルを3回、同じ量ずつ投与したほうがプラセボより効果的ではないか?」という仮説を検証していた(判決9頁)。このプロトコルには、「50、100、または150mg相当の用量で、3回同じ量を一定の間隔で投与する」と明記されていた。
2つ目は、ヤンセンの米国特許第6,555,544号(通称「’544特許」)。この特許には、「筋肉内または皮下投与用のデポ製剤として適した医薬組成物」で、「治療有効量のパリペリドンパルミチン酸エステルを含む」と開示されていた(判決9頁、’544特許第9欄65行~第10欄4行を引用)。
3つ目は、ヤンセンの国際公開WO 2006/114384号(通称「WO’384」)。ここでは、「25〜150mg相当のパリペリドンを含む注射用製剤を、無菌のシリンジに無菌的に充填する」と説明されていた(判決9頁、WO’384を引用)。
テバの理屈は単純だった。ヤンセンはすでに150mgの投与(’548プロトコル)も100mgの投与(同じく’548プロトコル)も試していたし、25〜150mgという幅広い投与範囲も(WO’384で)開示していた。だったら、その既知の用量を「減らす順番で並べた」だけなら、どの医師でも試していたようなルーチンな最適化でしょ、というわけである。
テバの目には、これは「先行技術で開示された重なり合う投与量範囲の中から特定の投与量を選ぶ」典型的なパターンに見えた。こういうケースでは、裁判所が「自明性の推定」を適用することが多い。
実際、裁判例でもそうなっている。たとえば In re Peterson, 315 F.3d 1325, 1329(Fed. Cir. 2003)では、「クレームされた組成物の範囲が、先行技術で開示された範囲と重なっている場合、自明性の一応の立証が成立するのが通常である」とされたし、Galderma Laboratories, L.P. v. Tolmar, Inc., 737 F.3d 731, 736–38(Fed. Cir. 2013)でも同様の考え方が採用されている。
テバの「自明的な数値範囲」戦法
「自明性の推定」っていうのは、特許無効の世界でいう「TSAのプリアプローバルレーン」みたいなものである。本来、特許の無効を「自明だったから」と主張するには、「当業者が先行技術を組み合わせようと思った動機があり、かつ成功する合理的な期待があった」と、明白かつ説得力のある証拠(clear and convincing evidence)で証明しなければいけない。[Pfizer, Inc. v. Apotex, Inc., 480 F.3d 1348, 1359–60(Fed. Cir. 2007)参照]
でも、薬の投与量とか金属合金の製造みたいに「数値範囲が重なっている」ケースでは、裁判所はこのプロセスをショートカットする「特例ルール」を発展させてきた。その基本ルールを示した代表的な判例が In re Petersonである。そこでは、「請求された組成の数値範囲が、先行技術で開示された数値範囲と重なっている場合、通常、自明性の一応の立証が成立する」とされている(In re Peterson, 315 F.3d 1325, 1329)。
この推定が適用されると、今度は立場が逆転する。特許権を行使したい側ーーつまり特許権者ーーが、「なぜこれは自明ではなかったのか」を説明しなければいけなくなる。そのためには、「先行技術が逆方向を教えていた(teaching away)」「予期せぬ効果があった(unexpected results)」「その他の自明でない証拠がある」ことなどを示す必要がある(E.I. DuPont de Nemours & Co. v. Synvina C.V., 904 F.3d 996, 1006–07(Fed. Cir. 2018))。
こう考えてみよう。
昔の料理本に「325〜375°Fで焼く」と書いてあったとする。あなたが「350°Fで焼く」と特許を出した場合、裁判所は「その温度、数値範囲の中じゃん。自明だったであろう」と推定するかもしれない。そうなったら、「いや、350°Fには予想外のメリットがあるんです」とか、「他の温度ではダメなんです」といった反証が必要になる。
テバの戦略も、まさにこれであった。古い料理本じゃなくて、ヤンセンの過去の研究資料(先行技術)を指さして、「見てください。150mgも100mgも、すでに開示されています。その数値範囲の中から投与量を選んで順番に並べただけでしょ?これは自明な最適化ですから、推定が適用されるべきです」と主張した。
もし裁判所がこの主張を認めていたら、ヤンセンは「この投与スケジュールは本当に革新的だった」と証明するために、かなり苦しい uphill battle を強いられることになっていただろう。
裁判所が線を引いたところ
でも、CAFCはその主張を受け入れなかった。この判決は、自明性の推定がどこまで適用できるかという重要な境界線を明確にした点で意義がある。裁判所はテバの主張を退け、ヤンセンの特許請求項は自明性によって無効とはならないと判断した。
裁判所の分析は、特許の自明性に関する法理がどう機能するのかを理解するうえで極めて重要な、ある本質的な区別に基づいていた。たしかに、先行技術にはヤンセンが使った数値(150mgと100mg)が含まれていたが、裁判所は、ヤンセンの発明が「範囲の中から数値を選んだだけ」のものではないと判断した。
裁判所の言葉を借りれば、「問題となる治療レジメンは、投与量と注射のタイミングを組み合わせたもので、減量式のローディング投与を含んでおり、証拠はこの一連の投与ステップが時間の経過に応じて望ましい脳への治療効果を達成するための統合された手順であると合理的に示している」(判決19頁)。
ここからが、裁判所の理屈が洗練されてくる部分だ。判事たちは、すべての最適化が同じように扱えるわけではないと理解していた。ときには、既知のパラメータの範囲内で微調整するだけのこともある。それは、既存のルートを使って目的地までGPSにより運転で向かうようなものである。でも、別のときには、一見すると単純な最適化に見えても、実は本質的な発明的飛躍が必要なことがある。たとえば、思わぬ道路工事に遭遇して、誰も知らなかった景観ルートを見つけ、それが実はより早く、より安全な道だったと気づくような場合である。そんなときには、単に設定通りのルートを進んだわけではない。むしろ、根本的に優れた新しい道を発見したことになる。
CAFCは、ヤンセンの減量式投与戦略が、この「第二のカテゴリー」に属すると判断した。それは、GPSのように既知の範囲から数値を選んで組み合わせればうまくいく、という単純な話ではなかった。むしろ、標準的なアプローチーーつまり月ごとの等量投与ーーがプロドラッグには最適ではないかもしれないと見抜き、そのうえで、2つの放出サイクルが重なり合う中で、どうすれば血中濃度を安定させられるかを設計する必要があった。
これが実際に何を意味するのか、現実的な観点から考えてみよう。ヤンセンは、150mgを示した先行技術と100mgを示した先行技術を見て、「じゃあその2つを順番に使ってみよう」と単純に考えたわけではなかった。そこで、裁判所が「重要な選択」と表現したように、「まず特定の高用量でローディングを始めて、次にそれより低いローディング投与を行う」という決断を下したのであった(同頁)。
この選択は、典型的な「範囲が重なるケース」とは本質的に異なっていた。裁判所は、「このローディングドーズの組み合わせという選択は、2つの投与量の関係性に注目したものであり、単に先行技術の範囲と重なる数値を選ぶという、自明性推定の枠組みに明確に当てはまるものではない」と指摘した(同頁、原文強調)。
この違いは決定的であった。なぜなら、先行技術は実際にはまったく逆の方向を示していたからである。たとえば、’548プロトコルは「3回同量の投与」を試していたし、他の開示では「用量を増やしていく」投与戦略が教えられていた(判決27頁、「用量を増やす方向への調整」が教示されていた)。でもヤンセンは、その逆を選んだーーすなわち減量式の投与である。それは、既知の枠組みの中での最適化ではなく、プロドラッグのタイミングというパズルに対して、まったく別のアプローチを選んだことになる。ヤンセンは、ナビのルートに従ったのではなく、あえて景色のいい回り道を選んだのである。
「自明性ショートカットボタン」が効かないとき:テバの苦戦
「自明性の推定」が適用されないとなった時点で、テバは従来どおりの厳しい自明性分析に立ち向かわなければならなくなった。この枠組みでは、テバ側が「明白かつ説得力のある証拠(clear and convincing evidence)」で次の2点を示さないといけない。①当業者が先行技術を組み合わせようと思った動機があったこと、②そしてその組み合わせでヤンセンの特定の投与スケジュールに到達し、うまくいくと合理的に予想できたこと(Pfizer, 480 F.3d at 1361参照)。
ここで、テバの主張が崩れはじめる。
動機の欠如
まず、テバは2012年当時の熟練医師が「減量式の投与スケジュールを開発しよう」と考える動機があった、という証明に失敗した。なぜなら、先行技術はまったく逆の方向を示していたからである。たとえば’548プロトコルは「等量を繰り返す」投与を試していたし、その他の文献ではむしろ「最初は少量から開始し、必要に応じて増やしていく」と教えていた。つまり「増量式」が一般的であった(判決27頁)。
テバはなんとかこの動機の欠如を補おうと、他の精神科薬に関するローディングドーズ戦略の文献を持ち出してきた。たとえば、1990年および1993年に発表されたEreshefskyの研究(ハロペリドールのローディング投与)や、2001年のKaragianisによるオランザピンの投与戦略などである(判決23–24頁)。
でも、これらの文献も裁判所には通用しなかった。Ereshefskyの研究で扱われた患者は、すでに経口ハロペリドールで症状が安定していた状態から長時間作用型注射剤に切り替えるという内容だった。だから、「長時間作用型注射を初期投与に使う」という本件とは根本的に違っていた(判決24–25頁)。しかも、Karagianisについては、テバ側の専門家の証言同士で矛盾していた。一人の専門家は「Karagianisは急性期患者への高用量ローディングを推奨していた」と述べたのに対し、別のテバ側専門家は「熟練者なら、急性に興奮している患者に長時間作用型注射は使わない」と説明した(判決25頁)。
つまり、テバは動機を証明しようとして文献を挙げたが、それらはむしろ「本件のような投与戦略は普通やらない」と示してしまったことになる。
成功の合理的期待がなかった
たとえ熟練医師が「減量式のローディングドーズを試してみよう」と思ったとしても、テバは「それでうまくいくと合理的に予想できた」と証明することができなかった。ここで、精神科薬の投与設計がいかに複雑かという点が、裁判所の分析において重要な意味を持つ。
裁判所はこう述べている。熟練者は「安全かつ有効な投与スケジュールを選びたいと思う」はずだが、ヤンセンのような「複数回にわたる初期投与スケジュール」は、単回投与と比べて「より多くの複雑性を伴い、副作用のリスクも増える可能性がある」(判決28–29頁)。この複雑性には、「薬剤の体内過剰蓄積」や「投与間の血中濃度の変動」などが含まれる(同頁)。
なぜこれが重要か、ちょっと考えてみよう。2012年当時の熟練医師が、パリペリドンパルミチン酸エステルの投与に関する限られた先行技術を見ていたとしたら、唯一の複数回投与試験(’548プロトコル)には「安全性や有効性に関するデータが一切ない」ことに気づいたはずだ(判決29頁)。そんな状況で、「単純な月1回の定期投与よりも、減量式ローディングの方が良い」と合理的に予想する理由はあるだろうか?
結局のところ、先行技術は「単純な月1回投与」か「等量投与」のような、よりシンプルな投与パターンに集中していた。一方、ヤンセンがやったことは、「プロドラッグが体内で変換されるサイクルを2つ重ねて、その出力を安定させる」という、いわば“体内で同期する二重システム”を設計したようなものであった。血中濃度のピークや谷を避けながら、安定した治療レベルを維持するという、繊細なタイミングの調整が求められた。だから裁判所が、これを「ルーチンな実験」として片付けるテバの主張に懐疑的だったのも当然である。
これは単なる最適化なんかではない。明らかに「発明」であった。
科学的な複雑さが分析への影響
ここで面白いのが、CAFCが判決で明言はしていないけど、テバの「ルーチンな最適化」という主張を退けた理由としてとても重要な要素がある。それは、パリペリドンパルミチン酸エステル自体が薬じゃないという事実。確か、「プロドラッグ」である。
この「体内変換要素」があることで、投与設計はテバの「自明な数値範囲」理論よりもずっと複雑になる。なぜなら、プロドラッグを扱うときには、単に「どれだけ薬を投与するか」ではなく、「いつ・どうやって薬が体内で作用し始めるか」を設計する、時間的なパズルに直面することになるからである。そして、先行技術はその時間的な複雑性に一切触れていなかった。
だからこそ、裁判所が「ルーチンな実験」とするには無理があると見たのも納得がいく。先行技術が教えていたのは「等量を繰り返すレジメン」だったのに対し、ヤンセンは「減量式のローディング投与」を採用した。その実現には、「複数のプロドラッグ放出サイクルがどう重なり合い、相互に作用するか」という複雑な知識と予測が必要だった。これは2012年当時の「ルーチン」とはとても言えない。
それでは、裁判所はヤンセンの発明を「時間をかけて行われる一連の統合されたステップ(an integrated unit of steps taken over time)」と表現した。これは単なる「個々の投与量の最適化」ではなく、「プロドラッグというシステムの中で、複数の投与がどう協調して働くか」を設計したという意味で、まさに「最適化を超えた革新」であった。
結論
今回の Janssen v. Teva 判決は、イノベーションに関する本質的な事実を教えてくれる。それは、「本当に価値のあるブレイクスルーほど、一見シンプルに見える顔の裏に隠れていることがある」ということである。先行技術にあった数値の中から数字を選んだだけに見えたこの発明は、実はプロドラッグのタイミングという複雑なパズルに対する洗練された解決策であった。複数の薬物放出サイクルが時間的に重なり合う中で、それを統合された治療システムとして機能させるには、本質を見抜く洞察力が必要であった。
CAFCが「自明性の推定」を適用しなかったのは、単なる法律論のこねくり回しではない。そこには、「真のイノベーションは、既存の知識と知識のあいだーー最適化では届かない場所ーーにこそ生まれる」という認識があった。
これから先、医薬品業界はますます複雑な治療レジメンと向き合うことになる。遺伝子治療のような高度な投与設計から、個別化医療による患者特化の用量調整まで、「最適化」と「発明」の境界線はさらに重要になっていくであろう。
この判決が示した分析の枠組みは、私たちにこう教えているーー数十億ドル規模のR&D投資、そして命を救う治療法へのアクセスがかかっているとき、自明性の判断は表面的な類似点だけで済ませてはならない。むしろ、それが本当に「治す技術」として新しい一歩なのか、深く掘り下げて見極める必要があるのであろう。
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